三つの虹



上等の虹



 さみだれが通りすぎたあと、谷間のほおの葉が、大きく広がりました。
 こんもりとした杉の茂みの中に、ほおの若葉は、あざやかに映えて見えました。
 そして、その時、とびきり上等の虹が出来上っていました。
「さすが、あいつの虹。わたしの絵の具じゃ、とてもあの色は出せん……」
 のりえは、湿り気を含んだ山の空気を頬に感じながらつぶやきました。そして、虹に向かって、いや、あいつに向かって叫びました。
「ウーラ、よう出来たよー。上等の虹だよ」


「気」という仲間



 のりえがはじめてあいつと出会ったのは、中学に通いはじめて間もなくのことでした。
 大好きなほおの木を写生しようと、学校からの帰り道、だんご山に入って行きました。
 だんごを二つ並べて、おしつぶしたようなこの小山を、のりえはだんご山と呼んでいます。
 日だまりの落葉の上は秘密の休憩所に、雑木の根元は専用のアトリエになります。赤松の根っこに腰をおろすと、大好きなほおの木が一番よく見えます。真直ぐに伸びた、しぶい緑のその幹は、毎日見てもあきません。合掌の形をして出てくる春の芽や、大きく広がった夏の葉も大好きです。天狗のうちわのような元気な葉も、秋には思い切りよく落ちて行きます。のりえは、一年中ほおの木と対面します。
 あいつは、そのほおの若い芽から生まれたのです。
 今にも開きそうな若いほおの芽を<かわいい合掌の手……>と思いながら、じっと見ていた時、その合掌の手が一瞬ほわっとふくらみました。そして、その若葉色の手が、キラッと光ったように見えました。のりえは、思わず「あれっ」と立ち上がりました。その光った若芽から、透明なかたまりがゆらりと押し出されて、しゃぼん玉のようにふくらむと、軽く離れました。そして、キラリと光ったと思うと、はねて飛びはじめました。いや、羽のないあいつは、梢のまわりとシャッシャッと、走りはじめたのです。
 のりえは、梢を見あげて、しっかりとその正体を見ようと、目をこらしました。
<もしかしたら、あの中に小人か妖精がいるのか、それとも、とんがり鼻の悪魔……。まさか……。ほんまにそういうもんがこの世におるとは思えん……>
 のりえは、『イワンの馬鹿』(ロシヤの童話)に出てくる小悪魔のさし絵を想い浮かべました。そして、幼い頃、小人や妖精、悪魔たちが、本当にひそんでいるかも知れないと、小石や落葉を、びくびくしながらおしあげて見たことを想い出しました。
 突然、
「おまえ、おれが見えるのか?」と、透明なかたまりが口をききました。ハーモニカの高い音をツーと吹いたような声でした。
「ヒッ」と、のりえは声にならない声を出して、一歩後ずさりをしました。そして、
「見えん。けど見えるよー」と、わけのわからない返事をしてしまいました。
「ふん、お前は変っとるよ。じゃ、またな」と、透明なかたまりはツーツーと早口にしゃべり、チカッと光って彗星のように走り、またたく間に見えなくなってしまいました。
 のりえは、棒のように立ったまま、チカッと走り去った方を見あげていましたが、<本当に見た?本当に聞いた?>と、自分の中の自分に確かめているうちに胸がどっきんどっきんと高鳴ってきました。
 坐りこんでのりえが、小さい頃空想したことや、今出会ったこと、これからあいつにまた会えるか、いや、あれは何かの錯覚だろうか、など考えこんでいるうちに、随分と時間が過ぎたようです。
 胸の動悸も治まって、ようやく我に返ったのりえに、またまたふしぎな声が聞こえたのです。今度は足元から聞こえました。
「いつまで考えこんでも、本当のことは本当じゃよ」と。
 ほおの芽のあいつより一オクターブ位低い声は湿っぽい地面から聞こえます。
 全く息が止まるほど驚いたのりえは、目を丸くして足元を見ました。すると、ふかふかした緑の(こけ)をおおうように、さきほどのあいつと同じ透明なものが見えてきました。
「あ、あ、あいつの仲間なの?」
 のりえは、ちょっとどもったけど割合すんなりと声が出ました。今度の透明なものは、あいつのようにシャッシャッと動かず、ゆったりとそこに止まっていました。そして、ゆったりとしゃべりました。
「おまえは変っとる。ようわしらが見えたよの。わしらぁ、『気』の仲間じゃけ、普通の人間にゃ見えんよ」
「えっ?『き』の仲間?立っとる木かねぇ」
「そういうと思うた。違う、違う。空気の気。お天気の気。気力の気。そんで生気の気。お前たちがたるんどる時に先生が気合いをいれるじゃろが。その気じゃよ。この辺におるのは山の気たちじゃ」
「ふーん、『気』ねえー。けどほおの木のあいつはとても元気がええのに、あんたはずい分静かなんじゃね」のりえは(こけ)の上にかぶさるようにして言うと、浮かしかけていた腰を落ち着かせました。
「あー、あいつは元気がええ。そうでなきゃ十五日の間に仕事が終わらんけえ。わしの時間はまだまだ一杯あるでの」
「十五日であいつは何の仕事をするん?」
「色集めの仕事じゃよ。虹の色を、の。わしら気の仲間はの、この世におる時間がはじめっからわかっとるんよ。そいでそれが終る時、この世に生きた(あかし)として、自分なりの虹を作ってから天に昇るんじゃ」
「へえー、生きたあかしに虹を?あかしって虹のことかいね」
「なんじゃい、解っとらんやつじゃ。生きた(あかし)いうのはの、確かにこの世におったという証拠じゃよ。わしらの証拠は虹じゃけ、すぐ消えてしまいよる。そいでも終りの時がわかっとるけ、みな一生けん命なんじゃ。
 ウーラは、うん、あいつの名はウーラ。あいつは今日から十五日の間に色集めの仕事をして、最後に自分の虹を作らにゃならん。わしときたら、十四年と三ヶ月も時間がある。いやになるね。なんでわしだけが長いんか知れん」だんだんと早口になり話し続けます。
「桜の花から生まれたサーラは、三日の命だったね。色集めする時間が少のうて薄ぼんやりした虹しか作れんかったよ。じゃがいい匂いを残していったよ」
 のりえは、年長のクドの話を聞いているうち、それは耳から聞こえてくるのではなく、頭の毛の根元からしみこむように感じとれるのを知りました。
「そういうあんたは色集めせんでもええの。いつからそこにおるん?」
「はあ、ずい分になるのー。わしが(こけ)から生まれた時は、やっぱりウーラのように元気じゃったがの、生まれて次の日よ、大ごとがあったのは。あれからずーっとここにおる」
「大ごと?」
「このへんの者はピカドンと呼んだ」
「えっ?あのビカドン!ピカの時に生まれたん?そいじゃあんたはわたしと同い年じゃないの。わたしもあの年に生まれたけ、今年の八月で十三才になる。じゃ十三年もここにじっとしていたんかいね」


ピカドンとクド



 第二次世界大戦で広島に原子爆弾が落とされたのは、昭和二十年(西暦一九四五年)八月六日の朝でした。地球人がこれまで見たこともない光がピカーと来て、ドーンという轟音(ごうおん)と共に爆風が突進して来たので、広島の人はその爆弾をピカドンと呼びました。
 クドは生まれた次の日にピカドン閃光(せんこう)を広島から十キロ離れたこの谷で浴びたのです。けたはずれの鋭い光にあたりの色が全て吸いとられ、はっと思った瞬間、どーんという山が割れるような音と一しょに大風が山に突き当たって来ました。その時、山の気たちはみな生まれ出た所にしがみついて縮んでしまいました。山の向こうから真黒い雲が湧き上がり、どんどん広がると、悪魔のジョーロからこぼれたような黒い雨が木や草に降りかかりました。その雨がやむと、空から思いがけないものが降って来ました。焼けこげたノートの切れはし、ちぎれた洋服の花もようの布、○年○組○岡○子と記名された竹のものさし、大きなものでは戸板がそのまま、山や田んぼ、家の庭先など、あたりかまわず落ちて来たのです。それらを拾い集めた子どもらを、「毒ガスがついとるけ、捨てろ!」と大人たちは叱り、火ばしでつまみ、焼いて灰を土に埋めました。
 (こけ)の中にすくんでしまったクドは、じっとしていながら広島での恐怖をびんびん感じておりました。
「わしはあれから動けんようになった。ピカドンにやられた人の苦しみの息が空気にしみこんで、今でも耐えられん。何しろわしは長いことこの世におるんでのー」
 のりえは、クドの声がふるえているのには気がつきましたが、透明な体が凍って(こけ)にはりついてしまったのには気がつきませんでした。
 いつのまにか晩春の谷間は薄く暮れはじめて、咲き残ったこぶしの花が目立って白く見えていました。


クドは凍らない



 はじめて、「気」というものに出会ったその夜、のりえはなかなか眠れませんでした。目をつぶっても、あのクドやウーラの姿が見えてしまうのです。
<ほおの芽からとび出したウーラは、あれからどこへ行ったんじゃろ。あいつの声も頭で感じるんかのー>と、生まれたばかりのウーラのことを想ってもう一度寝がえりをうちました。その時いきなり聞いたのです。いや、感じたのです。
《おまえ、クドのじいさんとよう話したのー。たまげたよ》と、ハーモニカのような高い声です。
「あっ。おまえはウーラ!」
《ばか、大けな声を出すな。おまえの父ちゃんが目をさますで。声を出さんでも話はできる。だまって何か聞いてみろ》
<おまえ、どこにおる。うちへ入ったんか?>
《うんにゃ、ほおの葉で寝とる》
<そがいに離れた所からよう話ができるの>
《そうよ。おまえ、わしらのつれ(友だち)になった。お互い想いが合えばどこからでも話はできる。クドじいさんは今日おまえとよう話したのー。仲間が話しかけても、ろくすっぽ返事もせんのに。よっぽどピカドンがこたえたんじゃろが。あれじゃ何も仕事ができん。長生きの甲斐(かい)がないよ。
 おまえ、あしたも谷へ来いや。じゃーの、おやすみ》
 のりえは、いつの間にか眠ってしまいました。そして翌朝いつもと同じ朝を迎えました。が、昨日のだんご山でのできごと、夜中の会話など、それが本当のことだったのか、夢だったのか、わからなくなっていました。朝食をのみこみ、昨日のままのカバンをかかえ、ほおの木の谷へ直行しました。
 木立の間から見えるほおの木は静かです。朝の光がまだいき渡っていない谷間は、ひんやりとして谷川のはじける音だけです。(こけ)の上は朝つゆでゆれているだけで、昨日のゆったりしたクドの姿はありません。いくら目をこらしても梢は光りません。ウーラの声も姿もありません。
「トッツァンコケタカ」
 ほととぎすが、日の当たっただんご山でせわしなく鳴きました。
<昨日はだんご山の柴の中で夢を見たんだろうか、それともゆんべの夢だったんか>
 どちらを見ても、見なれた景色ばかりで、のりえはがっかりしました。そして、だんご山の日の当たった落ち葉にどすんと腰を下ろすと、カバンを枕にしました。朝日を受けた赤松の木肌から空気が暖かくふくらんで、のりえを包みました。横になると体中の力が抜けていき、まぶたがだるくなって、のりえはとろんと眠くなってしまいました。そして、真昼の太陽が顔をまともに照らし、ジリジリ汗が出てくるまで、ぐっすり眠ってしまいました。
「わあ、暑うなった。よう眠ってしもうて……。学校を休んでしもうたー。まあええ、学校へ行ってもええことは一つもないけ」
 ねぼけ半分で無断欠席の言い訳をぐつぐつ言っているのに気がつくと、のりえは自分の頭をコツンとたたきました。
 その時、
《おまえ、よう寝たのー。クドじいさんが待っとるでー》
 あの高いハーモニカの声、ウーラです。のりえはとび上り、ほおの木の谷にすっとびました。
<ほんものだ。ほんとのことだ。また会える。また話せる>
 のりえの胸がどっきどっきと破れそうにおどります。
 おりました、クドじいさん。同じです、昨日と同じです。(こけ)の上にゆったりとおりました。息せき切って(こけ)の上にかぶさるようにしゃがんだのりえに、クドじいさんは話しかけました。
<今日はピカの話はせん。あの話をすると、わしは凍りついてしまう。さっきまで苦しゅうてかなわんかった。お前が寝とった間ずーっとじゃ>
 クドは、ピカドンの話をするとあの時の衝撃がまたよみがえり、(こけ)に凍りついて動けなくなるのだそうです。のりえは昨夜一晩中凍りついて苦しんだクドがとても気の毒になりました。
「凍ってしもうて朝は見えんかったんかね。困ったもんじゃね。うちの父ちゃんもピカの話をする時は、涙は出るし声はつまるし、つらい言うとる。ほいじゃが、わたしらはピカのことはよう知らんけ、話してもらわんにゃわからん。クドじい、あんた、話しても凍らんようになんとかならんかねえ」
「うーん、おまえ聞きたいか?」
「そりゃ、聞く方もつらいが、やっぱり聞きたい」
「聞いてどうする?」
「わからん。聞いてみて考える」
「そうよの、おまえは考え深い子じゃ。わしのつらい話も役に立つときがあるか知れん。人間はわしらに比べたら長生きじゃ。おまえたちが生きていくこれからの世の中のためにも話しておくのがええじゃろ。おまえの人生の(あかし)に役立とう」
 のりえは、牧師さんの前にいる時のようにうやうやしい気持ちになりました。そして、<人生の(あかし)とは難しい。気の仲間は、美しい虹を(あかし)として残すといったっけ>とクドの前で真剣に考えこみました。
「そういうことは、ゆっくり考えろ。まあ、わしの話を聞けよ」
 そうして、のりえはクドから原爆の話を聞くことになりました。




 三方に山を背負ったデルタの町、広島で、この世ではじめて、原爆の白い光と熱い風が津波のように荒れ狂ったのです。数えきれない命が消えた広島の町には、その放射能のため、七十年間は人も住めず、草木も生えないだろうと噂されました。しかし、丸太のように路上で焼け焦げた人や、水を求めて川辺で折り重なって死んだ人たちの供養もまだ終わらないその夏のうちに、雑草は伸び、花を咲かせました。
 したたかに伸びて白い輪の花をつけた草を、広島の人はピカドン草と名付けました。そのピカドン草を茂らせた焼け土を、何か月か後で踏んだ人たちにも放射能は影響しました。
 戦争が終わって、広島の道路も建物も整い、街路樹の緑が生い茂っても、来る年も来る年も放射能をあびた人たちは苦しんで死んでいきました。何十年か後、のりえが成人して子育てをする頃、人々が戦争の痛手を忘れて平穏に暮らしていても、被爆者の苦しみは深まり続いていくのです。




 その日は谷間に宵やみが下りるまでピカドンはむごいという話は続きました。
 のりえは、話し終わったクドが、また凍りついてはかわいそうと、ハンカチをそっと(こけ)にかぶせて帰りました。
 その夜、またウーラと話すことができました。とても色集めが忙しくて疲れたといってすぐ《おやすみ》を言いました。そのあと、思いがけず、クドの声がのりえの頭にとびこんできました。
《どういうこっちゃ。今晩は全然凍りつかずにおる。お前のやさしい心遣いがええ薬じゃ。あしたはハンカチは要らんよ》と。
<やったぁー、そんじゃ、あしたまたね。おやすみ>
 翌日から、ウーラは色集めにますます精を出し、のりえはピカドンの話を聞いてはノートに記し、スケッチブックに写すという毎日を過ごし、一週間が経ちました。
 そんなに長期欠席をして、父ちゃんに知れずにすむわけがありません。学校からの連絡を受けた父ちゃんに、のりえはこっぴどく叱られました。その夜、クドはしみじみ言いました。
《そうじゃ、おまえの仕事は今は学校の勉強じゃ。仕事を怠けるようじゃ、ええ(あかし)は残せんぞ。わしも元気になったけ、あしたから仕事をする。色集めのな。おまえの色集めは勉強じゃろが。あしたから学校へ行けよ》


ウーラの虹



 一週間学校を休んだあと、何がのりえをこんなに変らせたのかと、のりえの父はいぶかったり喜んだりして、
「よっぽどええことがあったんじゃのー。神さまのお導きに感謝せんにゃあ」と、急に生き生きしたのりえを見つめます。
 のりえは、学校でも先生がたじろぐ位に熱心に授業を受けると、真直ぐに家に帰り夕食の仕度をします。父と二人だけの食卓も、のりえの眼が輝いている分だけ、以前より明るい雰囲気です。片づけのあとまた勉強に精を出します。のりえは、精一杯頑張ることの充実感というか、気持ちよさを知りました。
<今日も一しょうけん命やった>と思えると、胸が軽くふくらみます。そして、クドやウーラとの楽しい想い合いの会話がはずみ、<あしたも頑張ろう!>と交わし合って眠りに入ります。天国の母ちゃんともこんな風に話せたらな、と思いながらー。


《おれ、紫の色で困っていたんだ。そしたらクドじいが里で咲く花しょうぶを教えてくれた。やっぱりクドじいは、だてに年は取っとらん。色を一ぱい集めれば集めるほどええ虹ができるとじいさんは言う。見とれよ、おれ頑張るけえ。一しょうけん命やりゃ、お天とうさんも助けてくれるとじいさんは言う。あした一日だけじゃ。精一杯やるで!》
 いよいよウーラの色集めも明日一日だけとなりました。その次の日にウーラの虹が出来上るはずです。多くの色を集めて七色の弧を形づくり、最後の時に光の神がどれだけ力を貸してくれるかで、その仕事は決まります。のりえは、ウーラに何も力を貸してやれないので、心からの応援を送り、最後の一秒まで見とどけようと、その時を待つことにしました。
 最後の夜、ウーラはのりえの家の杉の木に来ました。夜は静まるのが山の気なのですが、ウーラは仕事を全部終わって、どうしてもこの杉の木に来たくなったと言います。
「のりえの父ちゃんが、この杉の木の下で祈るのをよく見た。おれも今、祈りたい気分になったよ」と。
 のりえも、真夜中の杉の木の下で、ウーラと一しょに祈りました。
「神さま、どうぞ美しい虹が仕上がりますよう、少しの雨とたくさんの光をお与え下さい」と。
 翌日、掃除当番を交代してもらい、いつもより早く下校したのりえは、だんご山に登ると、ウーラの虹が仕上がるのを待っていました。
 その虹は、それはそれは上等のものでした。ほおの梢から北の山にかかるウーラの虹は、松林をだき込んで大きな弧をえがき、のりえの家と杉の木を見下ろしています。
 その七つの色は、ウーラの丹精の色です。クドの助けでできた紫や赤は華やかに、そして青い空にみずみずしく映えるのは若葉色です。
 のりえは、虹に向かって叫びます。
「ウーラ、よう出来たよー。上等の虹だよ」と。
 七つの色は更に色を深くし、幅を広げ輝きを増しました。そしてそこからもっと上を見上げると、それよりも一まわり大きな半円を描いて、もう一つの虹が太陽により近く堂々とかかっておりました。
 のりえは息をのみました。そして、しみじみと<よかったねえ、ウーラ、おまえの立派な(あかし)を見たよ。思い残すことはないだろう?>と、ウーラの虹に話しかけました。
 十五日間、精一杯生きたウーラの色は、赤・橙・黄色・黄緑・緑・青・紫、そして更に澄んだ色の紫から赤にと、十四通りの満足の色でした。


クドの仕事



 ウーラがいってしまうと、クドじいはどんなにしょんぼりするかと、のりえは気を遣いました。しかし、つぎつぎと生まれる気の仲間は、年長のクドの助けが大そう役立つことを知っているので、クドは以前のようにゆったりしてはいられません。
 この夏には、この山の周囲では例年になく美しい虹が多く見られました。いつもなら虹の香りなど、気の仲間にだけ漂うものなのに、その年は人里にまで広がって、一段と草木の生気を増したものです。
 白ゆりの香り高い透明な虹、ききょうの深い紫の映える虹、うつぎのひかえ目な色の虹、誰が見てもはっきり見える虹、目をこらしてやっと見える虹、クドはたくさんの虹を数えました。そして、冷たく凍って打ち沈んだ月日と、ウーラやのりえと過ごした充実した日々を想います。そして、あと一年の残る日をどんなに過ごすか考えます。
《のりえにせがまれて、ピカの話をして動けるようになった。ウーラに頼まれて色集めを助けた。これらのことは、わしに生きる気力を授けてくれた。わしだけが長命なのは、これからも意味がなければならない。わしだけが経験したことが最後の(あかし)にどんなかかわりがあるかー》
 クドはすっかり『考える気』となり、またまたじっとしていることが多くなりました。ある秋の日は落葉の下で、ある冬の日は冷たい谷川のしぶきを浴びながら、そして、晴れた日には谷の(こけ)で、曇の日には松の梢にゆったりと止まって、黙っているのでした。 
 のりえは、クドの居場所を見定め、寄りそうようにカンバスをたてます。中学校の絵画部で腕をみがいたのりえは、秋のコンクールに見事入賞し、父に油絵の道具を買ってもらいました。夏の山、秋の山、そして今は冬の山、のりえの絵には必ずクドの姿が描かれているのですが、これまで気がついた人はいません。
 のりえは、クドのそばにいる時、将来のことをいろいろ考えるようになりました。絵かきになれたらいいな、翻訳家もいい、それとも人形劇も面白そうだなと、やって見たいことが次々と頭に浮かびます。そんな時、のりえもクドのまねをして、落ち葉の上にゆったり坐り、じっと目をつぶります。すると頭の中に<いい絵ができたら父ちゃん喜ぶぞ>とか、<英語のテスト、今度こそ満点とらなくちゃ>とか、いろんな考えが浮かんできます。すると、クドは必ず《まだまだじゃ》といいます。のりえも必ず<何がね?>といいます。そして会話はそれっきりなのです。
 こうして、冬の間、《まだまだじゃ》<何がね>の会話がくり返され、春が来ても《まだまだじゃ》が続きます。のりえは、あせりはじめました。夏が来てもクドは相変わらずゆったり考えこむ日が続き、のりえが付き合っていても、《まだまだじゃ》というだけです。夏が過ぎてしまえばクドの仕事の最後の季節です。
<ねえ、クドじいや、そろそろ働いたらどう?だんだん日にちも少のうなるよ>と問いかけても、やっぱり《まだまだじゃ》と返るだけです。クドのゆったりぶりにのりえはじりじりして、傍にいたたまれず、谷へ行くのをやめにしました。そして、学校の絵画クラブに熱中することにし、やがて夏休みに入りました。しかし、夜など<クドはどうしたかな>とつい思うと、《まだまだじゃ》と、クドの声がとびこんできます。
 そして、八月五日、二人の十四才の誕生日にどうしても気になって谷へ行ったのりえは、クドを見違えるところでした。
 ゆったりと(こけ)の上にいたクドは、なんと、深みのある翡翠(ひすい)の色に染まっているではありませんか。
「お、おまえ、確かにクドじゃろ、いつの間にそんな色に……」
《まだまだじゃ》
「まだ言うとる。緑の一色じゃ虹はできんよ」
《まだまだじゃ》
「はあ、知らん。勝手にしんさい!」
 驚いたり、あきれたりして家に帰ったのりえの眼の奥に、あの翡翠(ひすい)の深い色が、クドの緑が、やきついてしまいました。
 つぎにクドに会ったのは、日のあたるだんご山でした。少しあぶなっかしい格好で、でもゆったり坐っていた所が、おみなえしの黄色い花です。本当に見分け難く、そっくり同じおみなえし色に染まったクドでした。そして、同じく《まだまだじゃ》と言いながら……。
 九月に入ると、クドは清流に写る青い空に、秋が深まると、りんどう色に染まりました。いばらの真赤な丸い実にしがみつき、散りしいたいちょう色にもなりました。のりえは、クドの澄んだ色に会う度に、眼の奥にその色をしまいこみ、感嘆の声をあげるのでした。
 だんご山の木々が紅葉をはじめたころ、クドの《まだまだじゃ》があまり聞けなくなり、《わしの色をよく見とけ》と真剣に話すようになりました。そして、その時その時のさまざまな色を染めわけたクドに、いよいよ最後の日が迫ってきました。
 クドは、のりえを呼び、谷に坐らせました。
《ちいと冷えるかも知れんが、ちっとの間わしにつき合うてここに坐れ。ゆったり坐れ。そして眼をつぶれ。何も考えんでもええ。ええか、体を楽にゆったりするんじゃ》
 のりえは、この時のように素直になったことはありません。
 あぐらをかき、ひざに両手をのせて眼をつぶると、まず谷川の音が耳に入ります。次に梢を渡る風の音、そして、お尻が冷たいー。《まだまだじゃ。何も考えるな》クドのつぶやくのが聞こえました。のりえは、何も考えないようにするにはどうしたらよいのかと、また考えてしまいます。
《まだまだじゃ》と、何度かクドの声を聞いているうちに、体が軽くなり、頭の中がすっと空っぽになりました。
 そんな無我の境地にいたのりえの眼に、ぱっと、いきなり、虹が写ったのです。つぶっているまぶたに澄みきったクド色の虹が見えたのです。そして、身辺に何か気配を感じて眼をあけたのりえは、クドの姿を見失っていました。
<いよいよ最後のとき>と、だんご山にかけ登ったのりえは、すじ雲の浮かぶ青空にすぐにはクドの虹を見つけることはできませんでした。やっと見つけたその虹は、かすかに色づいた虹でした。七つの色か五つの色か、はっきり見分けがつかないくらい頼りなく、のりえがはらはらしているうちに、だんだんと青い空に溶けていくではありませんか。
<あー、クドの虹が……>と、力が抜けてその場に坐りこんだのりえは、思わず胸の前で手を合わせ、眼を閉じました。
 と、どうでしょう。のりえの閉じたまぶたの裏に、澄みきったクド色の美しい虹がまた写し出されたのです。はっとして、のりえは立ち上がり、眼をぱちっと開けてしまいました。そして、
<クドじいは、わたしにきれいな虹をくれたんか?>と、空に向かって問いかけました。
 そこには、弱々しい虹がほんの一切れ、残っているだけでした。
「クドじいは馬鹿じゃ、あほたれじゃ。みんなは、クドじいはそういう虹しか作れんのかと思うじゃないか。あれだけ一つ一つの色が立派にできたのにー」
 のりえが、いくら虹に向かってどなっても《まだまだじゃ》の声は、もう聞こえては来ませんでした。もう一度クドの声を聞きたかったのです。のりえは、
「あ・り・が・と・お」
と、大声で空に向かって叫びました。
 その声が向かいの山にこだまして返ると、かすかな一切れの虹は青空に高く吸いこまれてしまいました。


まだまだじゃ



 のりえは、だんご山の小高い頂にゆったり坐り、両手をひざにのせ、眼をつぶりました。そうして閉じたまぶたに虹を見るのです。
 だんご山のもみじを照らしていた夕日が沈むと、急に夜のとばりがおりて、のりえの頬を伝っていた涙をかくしました。もしかして、光の神がこの涙をてらしたら、それは七色に光ったかも知れません。




 三十年経ったいま、のりえは、あの時ののりえと同じ年の娘と話します。
「近ごろ虹がかからなくなったねえ」
「母さんの絵、虹だけはきれいだもんね。でも、ピカドンの絵はきもちワリイ……」
 すると、のりえはつぶやきます。
<まだまだじゃ>と。


(一九八十・六・二六)