赤いもみじとランドセル

 のんちゃんは、おじいちゃんの家が見えはじめると、かけだしたくなるのをぐっとがまんして、おとうさんとならんで歩きました。
 ここは、にぎやかな町で、広い道路はトラックや乗用車がスイスイ走り、両側にはいろんなお店が並んでいます。紙屋さん、かまど屋さん、金網屋さんに荒物屋さん、こんにゃく屋さんと駄菓子屋さん、そして、おじいちゃんの家はかさ屋さんです。
 そのころは今のようなかねの骨と布でできた洋がさは少なくて、竹の骨に紙をはり、しぶをぬった番がさが多く、少しおしゃれな人が、細い骨で上品にできたじゃの目がさをさしていました。あい色の地に大きく白いわのはいったじゃの目のもようは、よくかさ屋さんのしるしに使われました。
 市内電車から降りると、すぐにじゃの目のもようのおじいちゃんの家の看板が大きく見えます。
 おじいちゃんは、どこでおしごとをしていらっしゃるかしら、店かな、裏の倉庫かな、それともひだなの植木かな?
 のんちゃんは、「一年生になるお祝いにランドセルを買ってあげるからおいで」というお手紙をおじいちゃんからいただいたのです。
 じゃの目の看板の「○○○商店」という文字がはっきり見えるところまで来ると、のんちゃんは、赤いハンドバッグをふりまわしながら、お父さんの前をスキップでかけ出してしまいました。
「おじいちゃん、こんにちは」
 とびこんだお店の中をキョロッと見まわすと、いつもムッツリ、ノッソリしてる番頭のがんさんが、たくさんの番がさの間から頭をあげ、「ヤア、」とふりむいてニンマリすると「だんなさんは中」といって仕事の手は休めず、アゴを奥の方に向けて、おしえてくれました。
 へんだな、こんなひるまにおじいちゃんが中の間にいるなんて……。
「おやじさん、どうかしたんかいの」
「ええ、きんのうから、頭が痛いいうてねとりんさる。今日は、ちいと熱があるんじゃげな」
 のんちゃんは、おとうさんと番頭さんの話をうしろに聞きながら、おじいちゃんの寝室である中の間へ行きました。
 おじいちゃんの顔色は悪くはありませんでした。いつものようにおでこにしわがあって、目が細く、少し白いヒゲがチクチクのびていましたが、苦しそうなお顔ではありませんでした。でも、のんちゃんは心配そうに聞きました。
「頭が痛い?お熱ある?」
「うんにゃ、たいしたこたあないよ、せっかく来たのに、カゼをひいたりしとって悪りいのー。あしたは起きるけーの」
 おじいちゃんは、少しかすれた声でおっしゃいました。
 のんちゃんが一年生になると、ゆっくり泊っていくことができなくなるので、四月まで一人でお泊りすることにして、おとうさんは一人で家にお帰りになりました。
 翌朝、おじいちゃんはまだおきることはできませんでした。病気の様子は心配なほどではないのですが、まだ寒いので用心して寝ている方がいいとお医者さんに言われたのです。
 いつもおじいちゃんの後にばかりくっついていたのんちゃんは、つまんなくてしようがありません。ムッツリしたがんさんは遊び相手にはなってくれないし、事務室のツトムにいちゃんはソロバンばかりパチパチしていて電話などをいじるとおこるし、夕子ねえちゃんはおしろいをぬって知らない人と出かけちゃったし、台所のおばあちゃんはすぐガミガミいうし、奥の倉庫は暗くてツーンとへんなにおいがするのでおじいちゃんのいない時は入る気がしません。
 そこで、のんちゃんは、裏の二階から、おじいちゃんの植木鉢がたくさん並んでいる明るいひだなへ出てみることにしました。
 そのひだなは、半分くずれかかっていて、あぶないので、ひとりで来てはいけないと言われているところです。
 昔、番がさやじゃの目がさを下の作業場で作っていた頃、この屋上の広いコンクリートのひだないっぱいにひろげて干したものでしょう。
 奥の倉庫の側にある階段は古くなって、くさってガクガクしており、そのまわりのコンクリートにわれ目が出来て、ひだなのむこう半分はかたむいています。こちらの二階の方側はまだまだじょうぶなので、たくさんの植木鉢や水槽がおいてありました。


 おじいちゃんは、仕事がひまな時はいつもここへ来て水をかけたり、はさみでパチパチやったり、一鉢一鉢だきあげて眺めたりしていました。
 のんちゃんは、二階の低い窓にのっかってだれもいないひだなにピョンとおりました。
 コンクリートに春のお陽さまがたまっていてホワッと暖かでした。
 鉢から土と芽の匂いがぷーんと匂って来ました。
 のんちゃんは、おじいちゃんがやっていたとおりに、一つの小さな鉢を上からのぞきこみ、そしてだきあげてジロジロと眺め、少しはなして鉢をまわしたがらつくづくとみて見ました。
「そうねえ、この木に黄色の羽がふわふわとはえたらひよこになるのね。もっと大きくなって銀色の毛がはえると、お宮のはとよ。もっともっと大きくなって、青や紫の毛はクジャク
 のんちゃんは、ひよこの植木鉢がクジャクになって重くなったみたいで、よいしょともとの所へおきました。そしてたくさんの植木鉢の間を歩きまわりながら一つ一つゆっくり眺めました。
「えーと、これは洋食のお皿にのってるはっぱかな、これはみどりのオムレツだ。ヒャーこっちのは、まほうつかいの手、ゴツゴツの骨ばっかり。こっちはずいぶん下に下がってる。ゆうれいの手だー。かれちゃったのかしら。そうだわ、お水をあげましょう」
 のんちゃんは、じょうろに水を一ぱい入れて、骨ばっかりの植木に水をシャーとかけてやりました。ポトポトたれた水が足にかかってつめたくなりました。

 その日の夕ごはんは、おじいちゃんの枕もとでおじいちゃんと一しょにいただきました。ごちそうは、黄色いオムレツでした。
 のんちゃんは、植木鉢にお水をやったことを話しました。おじいちゃんは大へん喜んでくださり、
「毎日やってくれるとありがたいのー。そろそろもみじのめが出るころじゃけん」
と、おっしゃいました。そして、あぶない方には絶対に行ってはいけないと何度もおっしゃいました。
 のんちゃんは、次の日は朝早くひだなに行きました。ここのゴムぞうりはヒヤッと冷たかったけど、ちゃんと指を入れてはきました。きのうのように水をやりながら、もみじのめは出たかなと目を大きくひらいてさがしました。細長い葉っぱの上にかかった水玉がキラッと光ってすっと葉の根もとにすいこまれました。ぬれた植木はピチッと元気になりました。みどりのオムレツは銀色のオムレツに見えました。
 あれ、まほうつかいの手のゴツッと骨ばったところが光りましたよ。小さく光ったのです。
 小さな赤い宝石のように。
 よく見るとそこに赤くてかたい小さな芽がついています。この枝にもあの枝にもいっぱいついています。
「これだわ、これがもみじのめなんだわ」
 のんちゃんはいそいでおじいちゃんのところへお話しに行きました。

 次の日も、次の日も、おじいちゃんはおきられなくてのんちゃんは一人で水をやりました。毎日お天気つづきで暖かいのに、おじいちゃんのカゼはなかなかなおりません。ひだなに出られなくておかわいそうです。もみじのめは少しずつ大きくなってきます。おじいちゃんは、のんちゃんからもみじのめのようすをとても楽しみにお聞きになります。
「早よう見たいのうー」
と、おっしゃいます。

 暖かい朝です。のんちゃんはお水をやる前にもみじのめをまっ先に見ます。と、今朝はどうでしょう。もみじのめは小さなかたい皮からすいとはみ出していて、こまかい葉先がプチンとわれ、「はい、こんにちは」「はい、おはよう」と今にも口をききそうです。一番大きな芽は、つやつやしたやわらかい葉をぴったりとはり合わせたまんまで「やっと出ましたよ。この赤くてかわいいわたしを見てちょうだい」とばかりにピカピカしています。お水をかけていないのに、やわらかい葉の先に小さな水玉がちょろんとひっかかって、星のように光っているのです。
「おじいちゃんに見せたい。おじいちゃんに見せなきゃ」
と、のんちゃんは、やわらかい芽をつぶさないようにおや指と人さし指でそっとそれをつみとりました。
 ポチッポチッとかわいい音がして、上の枝から順番に新しい芽はつみとられました。
 のんちゃんの指はつゆにぬれました。
 大きくひろげた小さい掌はもみじのめで一ぱいになりました。
 冷たくって少しくすぐったいけど、つぶさないように、こぼさないようにおじいちゃんの所へ運びました。
 今朝は大分気分がよいので、おじいちゃんは、おふとんの上におき上がっていらっしゃいました。
 のんちゃんの掌にあるもみじのめをごらんになったおじいちゃんは、すぐには何もおっしゃいませんでした。それからゆっくり横におなりになって、しばらく目をつぶり、
「そうか、こんなに大きくなったか」
と、おっしゃって、静かにのんちゃんのかおをごらんになったのです。のんちゃんには、おじいちゃんの目が、少しなみだぐんだように見えました。
 のんちゃんは、よほどうれしいのだなと思いました。おうちへ帰ったらおとうさんにお話しようと思いました。
 それから二日後、おじいちゃんは、カゼがすっかりよくなって、のんちゃんに、ピカピカのランドセルと新しいくつを買ってくださいました。
 おうちへ帰ったのんちゃんは、おじいちゃんに買っていただいたランドセルをあけたりしめたり、せおったり、あたらしいくつでえんがわをはねたり、あるいたりしているうちに、おとうさんに、もみじのめのお話をするのをすっかり忘れてしまいました。


昭和四十七年七月一日発行 土の花 第十二集掲載作品