まなこ(眼)
この話は、の、ほんまの話じゃけ、よう聞いてくれんさい。
この村ぁ、中国地方の奥地で、四方を山に囲まれ、まん中に山の水を集めた大川が流れとる。ゆったり流れたり、急いで流れたり、
村のかみの、一番大けな竹やぶんとこに、土橋があるじゃろう。あそこにゃ昔から、ようかわうそが出よったんじゃげな。そいで、気に入らん人が通ったら、砂ぁかけたり、大けな火を燃やしたり、あげくの果てにゃ、その人を
「ゲナゲナバナシハ、ウソジャゲナ」
誰かいの、ちょっかい言わんと、よく聞きんさい。ほんじゃけぇ、
そん時の話じゃけ、ほんまの話よ。
おあきさんは、その日で刈りじまいにしようと、あせっとった。しもの田の稲は、まだ半分も残っとった。一株一株ざくっざくっと刈りとるかまの音は、だんだんだんだん調子があがってった。
痛む腰を、うーんと伸ばしたいのをがまんして、
<お日いさんが、山へ入りんさる前に刈り終らんにゃ、束にしてはぜにかける頃にゃ、
と、考えこみながらおあきさんは調子づいたかまを、ざくっと引いた。
と、そん時、つきーんと、右の目ん中から脳天まで、そりゃひどい痛みが走った。
稲の葉先で目をつっついてしもうた。その目から、たちまち涙があふれ出し、稲株がぼうとかすんだ。
穂が熟れた頃の稲の葉は、先がひどうとんがって
おあきさんは、頭の手拭いをぬらして、目にかぶせた。
「もうちっと、やらんにゃあ」
と、頑張ったが、手の方は狂うてばっかり。そのうち右の目は、かっかっと熱う痛み出した。
おあきさんは、
「はあ、やれん!」
と、かまをほうり出して、本家のじっつぁんにみてもらいに走った。じっつぁんがみた時にゃ、まぶたははれあがり、目だまはまっ赤に血がにじんで、手に負えんかったけ、
「こりゃ、医者に見せた 方がええで。ひょっとしたら、こっちの目はつぶれるで」
と、ユキノシタの葉を当てごうて、冷やすだけにしといた。
秋の日は、つるべ落としと言うが、ほんまにすぐ
おあきさんは、とうに
「医者に行くなあ明日にしよう。ひょっとするとこっちの目はつぶれる?」
<こっちの目がつぶれる、つぶれる……そしたらどうしよう。こういう時にあの人が生きとってくれんさったらのう。それにあの子が……>
おあきさんは、心細さのあまり、悔んでもしようのないことを思いはじめた。
十年前、つれあいに逝かれてから、おあきさんは、ほんまに辛苦して一人息子を育てんさった。じゃがの、その息子は、母親の苦労も知らんと
おあきさんは、息子のことを盆にゃ帰るか、祭りにゃ帰るか、もしかしたら今度の正月にゃ帰るかと、一人ぐらしにゃ余る程の米や麦を作って待ちよったんじゃ。
<あの子は父親に生き写しで、ええ男前じゃったけ、みんなにちやほやされてのう。どこで何をしよるんじゃろ。村のことは忘れたんじゃろか。わしも、そろそろ年じゃけ、一人ぐらしはこたえるよのう。それに目がつぶれたりしたら……>
おあきさんは、あれこれ考えこんで、とうとう、足を止め、渡りかけた土橋の中ほどでうずくまってしもうた。
と、その時、急にあたりが明るうなって足もとのやみが消え、うずくまったおあきさんの影が土橋のじゃりに長く映った。はっとして顔をあげたおあきさんは、太いらんかんの向こうにまっ赤に燃えあがる火の柱を見た。
一かかえもありそうな火の柱は、音もたてずに空に向かって燃えている。橋に覆いかぶさった大きなモウソウ竹の根元から、わき出るように、こおーとふきあげてくる。その炎の明かりで、太い竹の節は
「あ、ここは……」
と、棒立ちになったおあきさんの全身に、ばらっばらっと降りかかったのは、小さな砂つぶて。
「かわうそのわるさ!」
と、感じたひょうしに、心臓は石のように固まり、足は地面にはりついたまんまで、おあきさんは、ほわーと気が
うすぐーらい穴ぐらに、おあきさんは寝かされとった。気がついた時にゃ、一瞬墓ん中にいると思うたんじゃそうな。
でも、だんだんと目が慣れてくると、そこが竹やぶの下に出来た横穴じゃとわかってきた。黒ぐろとした土の壁にゃ、にじみ出した水が所どころ光っとる。そして、長い月日の間にびっしりとからみ合うた竹の根が、この穴の自然の天井をあみ出しておった。
その低い天井が続く横穴の向こうに、ぼんやりと明かりがさしとった。
おあきさんは、そうっと起きあがると、明るい方へと体をのり出した。そのとたん、右目の奥がくいーんと痛み、思わず「う・うーん」と、うなってしもうた。
<そうだ。あん時、稲で目をつっついて、じっつぁんにみてもろうて、そいから、そいから、そうじゃ、あの橋じゃ>
と、急にいろんな想いがよみがえってくると、どうして自分がここにいるのか見当がついてきた。
<化かされた、 化かされた!かわうそに化かされた。こともあろうにあの土橋を渡ったばっかりに。ああ、でもこの痛い目をどうしよう>
と、右の目に手をあてるとどうしたことか、じっつぁんが当ててくれたユキノシタはなく、かわりにべとべとーっと柔らかく、冷たい物がはりついとった。
<この目はどうなっとるんじゃろ。あん時からどの位たったんじゃろ>
と、おあきさんは頭がこんがらがってきて、また寝床にねころがった。
まわりが湿っぽい割にこの寝床は心地よく、横になるとちょうどええ具合に体がうずまって、目の痛みも不思議にやわらいでくる。
<なるようにしかならんのじゃけ、しようがないよの>
と、おあきさんは、大けな息を一つ、ふーと出した。
すると、遠くからしゃわしゃわと水の流れる音が聞こえてきた。そして、何やらひそかに動く気配を感じて、きき耳をたてたその時、
「気がつきんさったの。こがいな所でたまげんさったでしょう」
と、もの静かな声と一しょに、ぼんやりとした明りの方から一つの影が近づいてきた。そして音も立てんとおあきさんのそばに立った。
おあきさんは、思わず肩から背中に力が入ったが、静かなその影から不思議なやさしさを感じた。
明りを背にしたその影は、かわうそどころか、猿のような、いやもっと人間に近い形をしており、柔らかな毛に覆われた頭と胴体は全体ずんぐりとして、短い二本の足でしっかと立っておった。
おあきさんは、肝をすえて、
「わたしゃ、どうなるん?」
と、その影に尋ねた。
「みんなしてかん違いをしてしもうて、すまんことをしました。こらえてつかあさい」
と、静かな声はこたえた。
「かん違い?」
「まあまあ、目が治りんさったら話すけ、もちっと寝とりんさい。けがをしんさった目はわしらのよう効く薬がはってあるけえ、すぐ治りますけえの。この寝床は気持ちがええでしょうが。竹の皮であんで、キツネノタスキが一ぱい詰めてあるんじゃけ」
おあきさんは、幼い日、 このキツネノタスキというかずらをぐるぐるに丸めて、柔かいまりを作ってくれた母のことを想い出した。そして、たかぶった気持ちが静まると、また深い眠りに入っていった。
どのくらい眠ったのか、すがすがしい目覚めだった。竹の根の天井とぬれた土壁を、今度は落ち着いて見まわし、そろりと起きあがった。そして天井に頭がぶつからんように四つんばいになると、横穴の向こうのぼんやり明るい方へと、ほうて行った。さっきの痛みを思い出せんほど右目の痛みは完全に治まっていた。
明かりに近づくにつれて、横穴の湿り気はうすらいで、おあきさんはかすかな川の風を頬に感じた。
<かわうそに化かされたとばっかり思うとったが、ありゃ何者じゃろ。おかしげな所じゃが、ここの者はわしをいためる気はないらしい>
と、気が大きゅうなったおあきさんは、静かな声の主はどこじゃろうと、身をのりだして明りの見える所まで来た。
そして、まあ、たまげた。
その土間は、ずんと低うなってかなり広く、あちこちにぴちゃぴちゃと水がたまっとる。広間のまん中に砂をもりあげたいろりがあり、こえ松の火がとろとろと燃えている。それを囲んで、五つか六つの影がうごめいていた。
どの影も同じように見えて、おあきさんに母のことを想い起こさせたのは、どの影だったか見分けがつかんかった。
「お客が目を覚ましんさったで」
と、太い声がすると、その影たちは、はたと動きを止めてふり向いた。
その中の一人が、すすすと近づくと、
「痛みはとれましたかいの。まあ、こっちぃ来て坐ってつかあさい」
と、若こうてきれえな声をかけた。
おあきさんは、だまってそろそろと近よると、さし出された低い腰かけに坐り、冷とうはなかったが、手持ちぶさたの手を火にかざした。
水のところでも平気で坐っとる彼らを恐る恐る見まわしたおあきさんは、今度は明りを正面にまともに彼らを見ることができた。
そしたら、はあ、胸がどっきーんとして息もできんかった。
彼らは、人間には違いないが、背丈は小そうて、立っておあきさんの腰ぐらいかの。手足に生えとる茶色の毛は、こえ松の明りを受けてつやつやと光り、特に頭の毛はぬれたようにしっとりと肩までに下っとる。そして、顔、その顔は、一人一人違うとる。何よりたまげたことに、目の数が一人一人違うとる。
おあきさんは、体中の血が全部心臓に集まったみたいで、ものも言えず、手と膝と、そしてあごが震えてたまらんようになった。
「ほりゃ、たまげとりんさるけえ、にいさん、早ようわしら、やぶにんげんのことを話してあげんさい」
あの静かな声がすぐ横から聞こえた。
<やぶにんげん?>
おあきさんが、その声の方を見たら、そのお人の顔には目は一つ、細うてしわの中にうずまるように、やさしゅう光っとる。
「ほうほう、そうじゃ。こりゃわるかった」
と、にいさんと呼ばれた人は、太うてたくましい声。そして、顔には、ぎょっとするような大けな目が四つ、二列に並び、らんと光っとった。
にいさんは、おだやかな調子で話しはじめた。
「わしらは、上のお人、はあ、土の上に住んどる人のことを、そう呼んどります。上のお人と、こがいにして話しゅうするなぁはじめてで、みな珍らしがっとります。それに、わしらはあなたにゃすごう悪いことをしてしもうて。かん違いしたんじゃけえ、こらえてつかあさい」
「かん違い?」
またしても同じ言葉を聞いて、おあきさんは、ふしんげにきき返した。
「ええ、そうでがんす。はぁ、前から上のやつ、いや上のお人の
あの時、あなたが橋の上でしゃがみんさった時、若いもんが、『またやるでー』と、
にいさんは、本当にすまなそうに大けな四つの目をくもらせて広間のすみに声をかけた。
「ほんまに、お気の毒なことで」
と、うす暗いすみの方から盆になにやらのせて、すすすと歩いて来たのは、さっきの若うてきれえな声の主。
「竹の根のしるですけ、まあ一杯」
と、竹の筒に入ったものをすすめてくれたその人の顔には、目が二つ、それに鼻がすっきり高こうて、ほんのりももいろの顔。
<べっぴんじゃ>
と、おあきさんは思うた。
すぐ横から一つ目の静かなお人が言うた。
「うちのねえさんですけ。べっぴんじゃないが、気だてはええし、働きもんでの、わしの息子のじまんの嫁なんじゃ。
ここらじゃ、女は目が細うて鼻は目立たんように低うて、口は前に出とるのがべっぴんなんじゃけ。男はの、目の数が
うちの息子は、じまんじゃないが、このやぶ合いじゃ一番の男前ですけ。それに胴は長ごうて格好ように丸まっとるし、丈夫げに太うて短いすねもええでしょうが。それに見てつかあさい。この大けな足は、走っても泳いでも誰にも負けん証拠ですけ。こがいな男なら、暗い横穴でも水ん中でも、ええ仕事ができますけ」
静かな声は、息子じまんになると、だんだん高ぶっていった。
四つ目のにいさんは、自分のことをこれだけ言われると、丸い背中をよけいに丸めて、恥ずかしそうにわきを向いてしもうた。
「まあ、おかあさん、その位にしといてあげんさい」
二つ目のお嫁さんは、ひかえ目に言うと、おあきさんの方にふり向いて親しそうに言うた。
「わたしゃ、あなたがつれあいをなくされて、息子さんを一人で育てんさったことをよう知っとります。その息子さんも町に出られて、一人でまあ、お淋しゅうございましょう。いつもお気の毒にと思うとりましたのに、今度うちのもんが、えらいめにあわせましてのう。ほんまにどうしたらええか。
目を悪うされたらしいですが、できるだけのことはさせてもらいますけ」
「はあ、目のことなら任せてつかあさい」
四つ目のにいさんが、生き生きとふり向いて言うた。
「わしらの仲間で、目の少ないもんは、みな目ん中に魚の目をかぶして、よう見えるようにしとるんでがんす。あなたの目にもそれをかぶしてあげますけ」
たまげてばっかりで、自分の目のことはすっかり忘れていたおあきさんは、片目だけで見えるのが、明るいところだけ、しかもぼんやりしか見えないことに今気がついた。
「魚の目をかぶせると、ようなるんですか」
おあきさんは、心細い声できいた。
「えーええ、わしらのご先祖が考えたもんですがの。魚の目をうまいこと採って薬の中へ入れ、固とうなってからきれえな水と竹の皮やトウサ草で研いで、うろこみたいに薄うするんでがんす。それを入れると、ぴたっと目玉に張りついて、よう見えるようになりますけ。ちょうどええのを入れたげますよ。
おい、あのかごを持って来い!」
と、側に坐っていた三つ目の男にいいつけた。
「わしの弟でがんす。あわてもんで困っとりますがの、ええ働きもんですけ。
おい、
と、にいさんは四つの目を細めて笑うた。
おあきさんは、この土の下の家族のやさしさを体中で感じて、ほうっと肩の力を抜いて、すすめられた竹の根の甘いしるをすすった。
「そこの子ら、こまいこえ松を持って来んさい」
一つ目のおばあさんに言われて、体より頭の方が大けな四つ目の子と二つ目の子が、土の壁をよじのぼって上の方から細い割木を一つかみずつ持って来た。そのこえ松に火をつけるとみんなで持ち、おあきさんの顔を照らした。
おばあさんは、魚のうろこみたいにすき透った小さいものを、ぬらした指先にひっつけて、
「すぐじゃけ、大けな目をあけんとりんさいよ」
と、いうと、片方の手でおあきさんのまぶたを広げた。ひやっとした指先にふれて、はっとしたとたん、それは、はあ、おあきさんの目玉に張りついとった。
そしたら、まあ今まで暗やみで見えんかったところまで、すかーっと昼間のように見えてきた。
おあきさんは、うれしゅうてうれしゅうて、まわりを見まわした。見える。見える。よう見える。さっきまで、うす暗かったすみの方まで、よう見える。
竹の皮にくるんで天井からぶらさがっとるのは干した薬草。割竹の棚に並べてあるのは魚の干もの。壁にさした竹ぐしには、とって来たばかりのヤマメやハエ。かごに集めた竹根の新しい芽。そのしるをしぼり出す太い竹の筒。何から何までよう見える。もちろん、ここの家族の優しい顔、顔、そして、おあきさんの開眼を涙してうれしがっているたくさんの目も。
ぴちゃちゃと水が寄せとる所がこの横穴の出入口らしい。
<そろそろ帰らんにゃ>
と、おあきさんが小腰をかがめて外を見上げたら、竹の葉の間から白うなりかけた空の星が、ちらちら見えた。
「帰りんさるんなら、やぶん中の道を行きんさい。こっちがあがり口ですけ」
おあきさんの心を見通したように、横穴のおばあさんは声をかけた。
おあきさんは、頭を深こうに深こうに下げると、やぶにんげんの家族に別れを言うた。
おあきさんが、竹の根につかまりながらたて穴をよじのぼり、やぶん中に立った時にゃ、竹の葉にたまった夜つゆが、一番の朝日にあたって、きらっと光った。
そいからは、の、まわりの者は「おあきさんは、かわうそに化かされたんじゃげな」「片目が白うて妙に光っとる」「夜にゃ気味悪い火があの家に出入りするんじゃげな」とか、いろいろ言うて、一人ぐらしのおあきさんに、誰ぁれも寄りつかんようになったんよ。
そんじゃが、おあきさんは、やぶにんげん達とはずっと付き合いがあったんじゃろ。前の淋しげな様子は全然のうなって、うれしげな歌や、話し声が夜っぴて家ん中から聞こえることが再々あったんじゃ。
町に出て何の音沙汰もない息子のことは、さっぱりと忘れてしまいんさったようじゃった。
この話は、の、わしがおあきさんから直かに聞いたんじゃけ、ほんまの話よ。
おあきさんは、の、
「まわりの者が何と言おうと、わしゃ、ええ人らと
と、しみじみ言うて、ええ顔をして死にんさったんじゃ。八十は過ぎとりんさったよ。
あんたらが生まれるだいぶ前のことよ。
ん?かわうそのことかいの。人を化かしたかどうか、わしゃ知らんよ。
ほんま。
昭和五十五年十月十六日発行 土の花 十周年記念号 掲載
昭和六十八年一月十一日 加筆・訂正